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屈強な男性のブログ

チャンピオン・ジャンプの感想を中心に、日々の雑記とか諸々

「ら抜き言葉」の研究

図書館で本を5冊借りました

 

・アナウンサーの日本語論(毎日新聞社

・揺れ動くニホン語(東京堂出版

・方言学入門(三省堂

・砂漠に風が棲んでいる(角川学芸出版

・アフリカ大陸探検史(創元社

 

日本語研究本を3冊、アフリカの本を2冊です。

日本語研究本が多いのは、僕の中で10年以上前から燻っていた、ある疑問のせいです。

 

ら抜き言葉ってそんなに悪いことなの?」って疑問です。

 

ら抜き言葉」とは可能を表す助動詞の使い方のことです。

例えば、「見ることができる」は下記「A」「B」2パターンで表現できます。

A:見れる。

B:見られる。

 

現在、『ら有り言葉』ことが正しく美しい日本語であるとされています。

よって「B:見られる」が正解とされています。

しかしココからが問題です。「見られる」派の人間が、「見れる」派の人間を糾弾する動きがあるのです。

 

「『見れる』なんて汚い言葉遣いの、正しい日本語を解さぬユトリどもや、教養の無い俗物が日本で幅を利かせてやがる。こんなことでは、この国の教養は崩壊してしまうぞ! 矯正してやる!」

ってな論調が、かつて、そこかしこに見られました。テレビでも、新聞でも。ネットでも。「正しい日本語を使いましょう」キャンペーンが張られました。

よくある「言葉狩り」の情景です。

 

しかし、だがしかし、僕は、生まれてこの方「ら抜き言葉」に違和感を持ったことが無いのです。

日本語に一家言あるから・・・ではなく、僕の性質によります。

 

僕は言葉を捉えるのが生来苦手なのです。

会話のスピードについていくのが精一杯で、「ら」が有るか無いか程度の、言葉の揺らぎに神経を尖らせる余裕はありません。

聞くのも苦手なら喋るのも苦手です。なので、この程度の「ら」の有無でイチイチ喧嘩なんかしてほしくないのです。

ちょっとしたスピーチでもSUN値削られる思いなのに、「ら抜き言葉」を使った程度でチクチク攻撃される風潮が強まれば、口を噤んで生きてゆくほか無くなるのです。

 

なので、図書館に向かい、研究者の知恵を借りたのです。

 

結論として、「ら抜き言葉」は方言です。若者言葉とか、「間違った日本語」ではありません。

 

現在の標準語は明治時代に「東京の教養のある人々」が用いる言葉をベースに策定されています。しかも、お役所が、政策的に「東京弁をベースに標準語をつくろう!」と決定したわけではなく、なしくずしてきに、なんとなく「東京弁=標準語」と定まったようです。

 

歴史的経緯は色々あるみたいですが、つまるところ「東京弁=正しい言葉=標準語」です。

なぜ東京弁を標準としたのか? 名古屋弁や山形弁じゃダメなのか? という疑問もありますが、明治時代の空気には抗えないので、しょーがないのです。

ともかく「東京弁=ら有り」が標準と定まりました。

 

しかし地方では「ら抜き」が伝統語として定着していて、「揺れ動くニホン語」の「ら抜き・ら有りの言語地図」では関東・中部・近畿地方を中心に「ら抜き言葉」が分布しています。

かなり広い範囲で「ら抜き言葉」が使われているのです。

 

僕は生粋の愛知県民であり、先述した地図によると「ら抜き言葉」を常用して生きてきた地域の人間です。こういう環境に育った僕は、「ら抜き」「ら有り」のどちらに軍配を上げるべきかはよくわかりません。

 

ただ、「『ら抜き』を喋るやつらは無教養だ!」 という風潮には反対です。

そんなこと言ったら、「ら抜き」地方で教養を積んだひとが、全員無教養になってしまうじゃないですか。「ら」の有無なんて瑣末な問題で人間を鑑定するのは、ちょっと無理があります。

 

 

 

 

 

 

 

・・・ちなみに、今回のブログの内容は考察不足です。

「ら抜き」が昔からの方言であるとすれば、若い世代に「ら抜き」が多い理由になりません。

文部科学省の調査で、

http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2016092101_besshi.pdf

「見れらる」を普通使いする年代を割り出しています。

「見られる」を普段使いする16歳~19歳は16.7%しかいません。しかし、70歳以上では63.2 %です。

 

ら抜き言葉」は方言? 若者言葉? 

 70歳以上の30%は「ら抜き言葉」を使っているのも興味深いです。

 

調査の母集団は「全国」としかないので、地域差を確認できないのが残念です。

新方言という概念もあるようで・・・もう少し深く考えて見ます。