屈強な男性のブログ

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応天の門を読む

漫画「応天の門」を読む。

 

平安時代菅原道真が、さまざまな事件の謎を解いてゆくストーリーだ。

一応、「探偵モノ」というジャンルに属するのかなあ。

惹句には「菅原道真在原業平とのバディ」と書かれているけど、道真の頭脳が凄すぎてバディとして成立していない。

ただ、道真が「青年」であるのに対して、業平は「百戦錬磨の壮年」として描かれている。道真は実務を持たない学生の身分であるのに対して、業平は検非違使のリーダーとして都の警備を守る責務がある。

バディモノとして読むには、この差には抵抗がある。

作者としては、この「若き天才・菅原道真」と「成熟した色男・在原業平」の対比こそがこの作品の狙いなのだろう。

 

だが読者としては道真に肩入れせざるを得ない。

理由はいろいろある。作者の書き方が均等でないことも含めてである。

ただ、決定的な理由としては、業平は完璧な色男過ぎてつまらないからだ。道真は完璧な理論を持ちながら世間知らずだったり、精神的に未熟だったりして応援したくなる。

 

年齢差は作者の萌えか?

たとえば、「踊る大捜査線」の青島と室井は「身分は違うが同年代」のバディだ。あるいは「地球防衛企業ダイ・ガード」の赤木と城田とかもそうだ。

もっている責務が違う。役割が違う。でもせいぜい「先輩・後輩」の間柄で語れる年齢差の範疇だ。

おそらく女性作者であろうが・・。まあ少年誌しか読まない僕としては、歓迎すべき刺激ではある。だから「バディ」として描かれる価値がある・・・あるのか?

 

 

キャラクター論に及んだが、この漫画の一番の魅力はそこではない。

平安時代のリアリティー」だ。

遠くにあった1000年以上前の時代を、緻密な時代考証をもって紙面に再現させる。

平安時代? 興味ねーよ」って思ってた僕を「平安時代好き」にさせてくれるだけの力がある。公家社会のリアリティがすげーからだ。

実際に「そうである」かは別として、色気のある筆致で描かれる細やかな時代考証が「OK!だまされてやろうじゃないか」と思わせるだけの魅力となっているからだ。

おまけページも充実していて、わかりづらい時代背景が丁寧に解説されている。

 

ただし、読者の「だまされてやろう」という、意図的な協力が必要で、「気がつけば惹き込まれてしまった」という感じは無い。

僕は「マンガ大好き」だから積極的にだまされたけれど、ほかの読者にはどうなんだろうかなあって、まあ、大きなお世話なんだろうけど。